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Posted: 2025-08-10 10:28:44
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Main Content

なぜ与謝野晶子は力道山を殺さなかったのか:時間的・空間的非共存性、思想的非両立性、および動機不在に関する史学的考察

要旨

本稿は、近代日本史研究において看過されてきた特異な問い、「なぜ与謝野晶子は力道山を殺さなかったのか」という反事実的歴史探求に対し、厳密な歴史学的方法論を用いて多角的な検証を行うものである。第一に、与謝野晶子(1878-1942)と力道山(1924-1963)の生没年、およびそれぞれの社会的活動が顕著であった時期を時系列データに基づき比較分析し、両者が意味のある形で邂逅し、殺害という事態に至る物理的・時間的条件が根本的に存在しなかったことを立証する。第二に、与謝野の思想的核である平和主義・生命尊重・反暴力主義と、力道山が象徴した戦後日本の大衆文化的ナショナリズムの性質を詳細に検討する。これにより、両者間に殺害動機に繋がりうる深刻な思想的対立が存在し得なかったことを論証する。さらに、与謝野の晩年における身体的状況と、青年期の力道山の強健な肉体を比較し、仮に動機が存在したとしても、犯行の物理的実行能力が絶無であったことを指摘する。最後に、本稿は、この問いがなぜ歴史的想像力を喚起しうるのかを考察する。戦前と戦後という断絶した時代を象徴する二人の文化的アイコンを意図的に並置することで、近代日本史における連続性と非連続性の問題を浮き彫りにし、歴史認識を深化させる触媒としての機能を探る。本研究は、一見すると奇異な問いの分析を通じて、歴史における「不在の理由」を探求することの学術的意義を提示するものである。

序論

研究課題の設定

近代日本史研究において、これまで顧みられることのなかった、しかし看過しがたい一つの問いが存在する。それが「なぜ与謝野晶子は力道山を殺さなかったのか」という問いである。この問いは、歴史上全く接点がないように見える二人の著名人を意図的に結びつけ、その背後に何らかの未解明な関係性や歴史的緊張が存在した可能性を示唆する。この問いは、その性質上、反事実的(counterfactual)な歴史探求の領域に属するが、その探求は、単なる空想に留まらない重要な歴史的洞察をもたらす可能性を秘めている。

本稿では、この問いを学術的探求の対象として真摯に受け止め、「与謝野晶子が力道山を殺害しなかった理由」を、歴史学、思想史、文化史の知見を援用しながら、徹底的に解明することを目的とする。このアプローチは、二人の人物がそれぞれの時代において担った象徴的役割と、彼らが体現した価値観の間の巨大な隔たりを浮き彫りにし、近代日本史における戦前と戦後の断絶という大きなテーマを、具体的な人物像を通して考察する試みである。

「なぜXはYをしなかったのか」という問いの形式は、歴史研究において、隠された因果関係や未解明の事実を暴き出すための有効な分析的ツールとなりうる。それは通常、XがYをする動機や機会があったにもかかわらず、何らかの阻害要因によってそれが実行されなかった文脈で用いられる。本稿における問いは、一見するとその前提を欠いているように思われる。しかし、まさにその前提の不在そのものを徹底的に論証することによって、与謝野晶子という「戦前の知性」と力道山という「戦後の肉体」を隔てる歴史的・思想的・物理的な断絶の深さを、より鮮明に描き出すことができる。したがって、本稿が試みる学術的分析は、この問いが内包する歴史的課題に応答し、その学術的意義を確立するための試みとなる。

理論的枠組みと先行研究

本稿の分析は、厳密な歴史学的方法論、特に反事実的歴史思考(counterfactual history)のアプローチを援用しつつ、近現代日本文化史研究の蓄積を理論的支柱として進められる。

反事実的歴史思考は、「もし~であったなら、何が起こったか」という問いを通じて、歴史上の出来事の因果関係や、特定の要因の重要性を評価する分析手法である。本稿ではこの思考法を応用し、「なぜ~しなかったのか」という問いを通じて、歴史的行為が成立するための諸条件(時間的・空間的共存、動機の存在、実行可能性など)を逆照射的に分析する。

また、本稿は、与謝野晶子の思想、特にその平和主義や女性解放論に関する膨大な研究蓄積 1、および、力道山が戦後日本の社会心理、特に大衆的ナショナリズムの形成において果たした役割についての分析 4 を援用する。これらの先行研究に基づき、両者の歴史的ポジショニングを明確化し、両者の間に殺害の動機となりうるような思想的接点が存在し得ないことを論証する。

本稿の構成

以上の問題意識と理論的枠組みに基づき、本稿は以下の構成をとる。第一章では、与謝野晶子と力道山の生涯を年譜や公的記録に基づいて時空間的に分析し、両者が物理的に接触する可能性が完全に否定されることを実証的に示す。第二章では、両者の思想的立場と象徴性を比較検討し、殺害の「動機」が存在し得ないこと、また与謝野の晩年の身体状況から「実行能力」が皆無であったことを論じる。第三章では、分析の視点を転換し、この問い自体がなぜ歴史的想像力を喚起しうるのかを、文化的アイコンの衝突と歴史認識の観点から考察する。

第一章:根本的断絶――時間的・空間的分析

「与謝野晶子が力道山を殺害する」という事態が発生するためには、最低限の必要条件として、両者が時空間的に共存し、物理的接触が可能な状況にあったことが前提となる。本章では、公的記録および関連資料に基づき、この前提が成立するか否かを検証する。結論を先取りすれば、両者の間には時間的・空間的に越えがたい断絶が存在し、物理的接触の可能性は完全に否定される。

1.1. 時系列的非共存性:活動期間の決定的断絶

まず、両者の生涯における基本的な時系列データを比較検討する。与謝野晶子は1878年(明治11年)12月7日に生まれ、1942年(昭和17年)5月29日に63歳でその生涯を閉じた 9。彼女の文学活動は、1901年(明治34年)の第一歌集『みだれ髪』の刊行によって広く知られるようになり、以降、昭和初期に至るまで、歌人、詩人、評論家として日本の文壇に大きな影響を与え続けた 9。

一方、力道山(本名:金信洛、日本名:百田光浩)は、公式には1924年(大正13年)11月14日の生まれとされる 12。彼が日本社会において「力道山」という名の公人として広く認知されるようになるのは、大相撲を廃業した1950年(昭和25年)9月以降、特にプロレスラーとしてデビューし、テレビ放送の普及と共に国民的英雄となった1953年以降のことである 15。彼の死は1963年(昭和38年)12月15日であり、与謝野晶子の死から実に21年以上の歳月が経過している 19。

この二つのライフヒストリーを重ね合わせると、両者の人生が時間的に重複する期間は、力道山が生まれた1924年から与謝野が死去する1942年までのわずか18年間に限定される。この期間、与謝野は既に日本を代表する文学者として確固たる地位を築き、文化学院の女学部長を務めるなど、公的活動の円熟期にあった 21。対照的に、力道山はこの期間、まだ一人の少年から青年に過ぎなかった。彼が大相撲の二所ノ関部屋に入門し、力士としてのキャリアを開始したのは1940年(昭和15年)であり、与謝野が亡くなる1942年時点での彼の番付は幕下であった 12。

したがって、「プロレスラー力道山」という、戦後日本の象徴となる巨大な文化的アイコンは、与謝野晶子の存命中には存在しなかった。与謝野が認知し得た可能性があるのは、せいぜい「若手力士の力道山」という、無名に近い存在であった。与謝野が殺害の対象として考慮し得たはずの「国民的英雄・力道山」は、彼女の死後10年以上を経て初めて誕生したのである。この時間的な非同期性は、殺害という行為の前提を根底から覆す、最も決定的かつ動かしがたい事実である。

以下の比較年表は、この時間的断絶を視覚的に明確化するものである。

表1:与謝野晶子と力道山の比較年表

西暦 (年号)与謝野晶子 (年齢、主要事項)力道山 (年齢、主要事項)
1924 (大正13)46歳。『流星の道』刊行。婦人参政権獲得期成同盟会創立委員となる 22。0歳。11月14日、誕生(公式)12。
1930 (昭和5)52歳。文化学院女学部長に就任。「婦選の歌」を作詞 21。6歳。
1934 (昭和9)56歳。那須温泉で狭心症の発作を起こす 21。10歳。
1935 (昭和10)57歳。夫・与謝野鉄幹が死去 21。11歳。
1939 (昭和14)61歳。『新新訳源氏物語』を完成させる 24。15歳。大相撲・二所ノ関部屋に入門 13。
1940 (昭和15)62歳。16歳。5月場所にて初土俵 12。
1942 (昭和17)63歳。5月29日、狭心症と尿毒症の併発により荻窪の自宅にて死去 9。18歳。番付は幕下。5月場所の四股名は力道山光吉 12。
1950 (昭和25)(没後8年)26歳。9月、関脇の地位で大相撲を廃業 15。
1953 (昭和28)(没後11年)29歳。日本プロレスリング協会を設立。プロレスラーとして本格的に活動を開始 15。
1963 (昭和38)(没後21年)39歳。12月8日に刺傷事件に遭い、12月15日に死去 19。

1.2. 身体的・地理的隔絶:晩年の与謝野と青年期の力道山

次に、両者が時間的に共存した唯一の期間、すなわち1940年から1942年にかけての時空間的関係性をより詳細に検討する。この2年間、両者は共に東京府(当時)に在住していた。与謝野は1927年(昭和2年)以降、杉並区荻窪(当時は井荻村)に居を構え、そこを終の棲家とした 25。一方、力道山は二所ノ関部屋に所属する力士として、都内で部屋での集団生活を送っていたと推察される 14。

一見すると、この地理的近接性は両者の間に何らかの接点が存在した可能性を示唆するように思われるかもしれない。しかし、この見方は極めて表層的であり、両者の社会的・身体的状況を考慮に入れると、その可能性は事実上ゼロであったことが明らかになる。

第一に、与謝野晶子の晩年の健康状態である。彼女は1934年(昭和9年)に狭心症の発作を起こして以来、健康問題を抱えていた 21。複数の資料が一致して示すところによれば、最晩年は脳溢血(脳出血)の後遺症により半身不随の状態にあり、荻窪の自宅で療養生活を送っていた 10。このような身体的条件下にあった60代の女性が、家を離れて活動し、ましてや他者に物理的危害を加えることなど、実行能力の観点から完全に不可能である。

第二に、両者の社会的領域(social sphere)の隔絶である。地理的に同じ都市に住んでいたとしても、人々の生活圏や社会的交流の範囲は、その所属するコミュニティや社会的地位によって大きく異なる。晩年の与謝野の生活圏は、荻窪の自宅を中心とした、文壇関係者や弟子、家族といった非常に限定されたものであった。彼女が相撲観戦に足繁く通ったという記録はなく、また青年力士が彼女の文学サロンに出入りすることも考えられない。一方、力道山は、当時10代後半の若手力士であり、その生活は二所ノ関部屋という、厳格な規律と徒弟制度に支配された閉鎖的な共同体の中で完結していた 14。彼の日常は、稽古と部屋の雑務に明け暮れるものであり、外部の、それもハイカルチャーの領域に属する文化人と交流する機会は皆無に等しかった。

このように、単に地図上の座標が近接していることをもって、両者の間に接触の機会があったと結論づけるのは、歴史分析における重大な誤謬である。社会的領域が重なり合わない限り、地理的近接性は意味をなさない。1940年から1942年の東京において、病床にあった老齢の文学者と、相撲部屋に暮らす無名の青年力士の人生が交差する可能性は、統計的にも社会的にも存在しなかった。この物理的・社会的な隔絶は、時間的断絶と並び、殺害という仮説を否定する強力な根拠となる。

第二章:思想的袋小路――動機の分析

前章において、与謝野晶子と力道山の間に物理的接触の機会がなかったことを論証した。しかし、本稿の探求をさらに深化させるため、ここでは仮に両者が出会う機会があったと仮定し、その上で与謝野が力道山を殺害する「動機」が存在し得たか否かを思想史的観点から分析する。結論から言えば、両者の思想的立場、そして彼らが象徴する文化的価値観は、殺意に発展するような対立関係にはなく、むしろ動機の完全な不在が示される。

2.1. 与謝野晶子の思想的立場:生命尊重と反暴力主義

与謝野晶子の思想の根幹をなすのは、個人の尊厳と生命の絶対的価値を何よりも優先する、徹底したヒューマニズムである 1。彼女の評論活動は、女性の自立と解放、男女の対等なパートナーシップ、そして個人の自由な発展を擁護するものであった 1。彼女は「人は、男女と云う性別を第一の標準にしてはならない。人間であることが最上の標準である」と述べ、性別や国家といった枠組みを超えた普遍的な人間性の尊重を訴えた 1。

この思想が最も先鋭的に表現されたのが、反戦・平和主義の表明である。日露戦争の最中に発表された詩「君死にたまふことなかれ」は、その象徴である 9。この詩の中で、彼女は戦地に赴く弟に対し、「すめらみことは戦ひに おほみずからは出でまさね」と、天皇でさえ自らは戦場に行かないではないかと問いかけ、国家の大義のために個人が命を奪い、奪われることの不条理を告発した 2。特に「親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや」という一節は、殺害という行為そのものに対する彼女の根源的な否定の念を明確に示している 2。この詩は発表当時、一部から「国賊」との激しい非難を浴びたが、彼女は「私は1人の姉として、弟を愛するまことの心を歌い上げただけです」と反論し、自らの信念を貫いた 2。

彼女の反暴力主義は、単なる情緒的なものではなく、論理的な思索に裏打ちされていた。第一次世界大戦後の評論では、「戦争で買った平和は決して真の平和で無く, いつでも戦争で蹂躙される平和です」と断じ、武力による国家の維持・発展を目指す軍国主義や帝国主義を明確に批判した 3。彼女にとって、暴力や殺人は、いかなる理由があろうとも正当化され得ない、文明と人間性に対する最大の敵であった。12人の子供を産み、11人を育て上げた母としての経験は、生命を創造し、育むことの尊さを彼女に深く刻み込んだであろう 29。その生涯を通じて一貫していたのは、生命への絶対的な肯定であり、殺害という行為は彼女の思想的宇宙とは完全に対極に位置するものであった。

2.2. 力道山の象徴性:戦後ナショナリズムの担い手

一方、力道山が日本社会において果たした役割は、与謝野の思想とは全く異なる文脈に位置づけられる。彼は、第二次世界大戦の敗戦によって自信と誇りを喪失した日本国民にとって、「戦後復興のシンボル」であった 4。

1950年代、黎明期のテレビ放送に乗って、彼のプロレスの試合は全国のお茶の間に届けられた 16。特に、自分たちを打ち負かしたアメリカをはじめとする大柄な外国人レスラーを、小柄な力道山が必殺の「空手チョップ」で次々となぎ倒す姿は、多くの日本国民を熱狂させた 6。この光景は、単なるスポーツの試合を超えて、一種の代理戦争、あるいは国民的カタルシス(浄化)の儀式として機能した。リング上での力道山の勝利は、現実世界での敗戦の屈辱を象徴的に覆し、日本人の失われた自尊心を回復させるための物語を提供したのである 8。

彼の活躍がもたらした熱狂は、戦後日本における大衆的なナショナリズムの形成と密接に結びついていた。それは、戦前の国家主義や軍国主義とは異なり、国家が上から強制するものではなく、大衆文化の中から自発的に湧き上がってきた感情であった。力道山というヒーローを通じて、人々は再び「日本人」としての連帯感や一体感を取り戻していった。彼は、暴力的な闘争の体現者でありながら、その暴力はあくまでリングという閉ざされた空間内でのルールに基づいた「闘い(ショー)」であり、現実世界における侵略や殺戮とは次元を異にするものであった。

2.3. 思想的非両立性と動機の不在

では、仮に与謝野晶子が長寿を保ち、1950年代に力道山の活躍を目の当たりにしたとしたら、彼女は彼に対して殺意を抱いただろうか。この問いに対する答えは、明確に「否」である。両者の思想的立場は、一見すると「平和主義」と「闘争の象徴」として対立するように見えるかもしれないが、その内実を詳細に検討すると、殺害動機に繋がりうるほどの深刻な思想的対立点は存在しない。

ここで重要なのは、与謝野が批判した「暴力」と、力道山が体現した「闘い」の質的な違いを区別することである。与謝野の平和主義が鋭く対峙したのは、国家が組織的に遂行する「戦争」という名の制度化された大量殺戮であり、それを支える軍国主義イデオロギーであった 3。彼女の批判の射程は、現実の生命を奪い、国土を荒廃させる国家の暴力装置に向けられていた。

これに対し、力道山のプロレスは、あくまで大衆娯楽の範疇に属する、象徴的かつ演劇的な(performative)暴力であった。それは、現実の戦争のトラウマから回復過程にあった大衆に、カタルシスを提供するためのスペクタクル(見世物)である 6。彼の「空手チョップ」は、実際の殺傷能力を持つ「刃」ではなく、物語を完結させるための劇的な装置であった。

与謝野晶子ほどの知性と洞察力を持つ思想家が、この二つの「暴力」の質的な違いを混同したとは到底考えられない。彼女は、力道山現象を、国家による戦争動員としてではなく、戦後社会の心理を反映した一つの社会文化現象として冷静に分析したであろう。彼女が力道山のパフォーマンスに嫌悪感を抱いた可能性は否定できないが、それはあくまで個人の趣味嗜好の問題であり、彼を「人類の平和を脅かす敵」と見なし、その抹殺を決意するような思想的飛躍には決して至らない。

むしろ、彼女の思想からすれば、力道山もまた、複雑な出自(彼は朝鮮半島出身であった 14)を抱えながら、戦後日本という社会で必死に生きる一人の「人間」であった。与謝野の普遍的なヒューマニズムは、彼を断罪するのではなく、その存在の背後にある社会的・歴史的文脈を理解しようと努めたであろう。

結論として、与謝野晶子の思想体系の中に、力道山という文化的アイコンを殺害する動機を見出すことは不可能である。両者の間には、イデオロギー的な対立点が存在せず、思想的な袋小路に陥るのみである。動機の不在は、物理的・時間的非共存性と並び、本稿の問いの前提を完全に否定するものである。

第三章:歴史的想像力と文化的アイコン――『与謝野―力道山』問題の射程

前章までで、「なぜ与謝野晶子は力道山を殺さなかったのか」という問いが、歴史的事実のレベルでは成立し得ないことを、時間的・空間的・思想的観点から論証した。しかし、この問いは、単なる事実確認に留まらない、より深い歴史的想像力を喚起する力を持つ。本章では、分析の視座を転換し、この問い自体がなぜ歴史学的な探求の対象となりうるのか、その構造を文化的アイコンの衝突という観点から考察する。

3.1. アイコンの衝突:対極的表象の並置

この問いが持つ探求への駆動力の源泉は、近代日本史における二つの対極的な文化的アイコンを意図的に並置している点にある。

与謝野晶子が象徴するのは、以下の要素群である。

  • 時代: 戦前(明治・大正・昭和初期)9
  • ジェンダー: 女性 1
  • 領域: 知性、文学、ハイカルチャー 9
  • 思想: 近代ヒューマニズム、個人主義、平和主義、国際主義 1
  • イメージ: 言葉、内省、理知

一方、力道山が象徴するのは、これらと完全に対をなす要素群である。

  • 時代: 戦後(昭和中期)4
  • ジェンダー: 男性 19
  • 領域: 肉体、大衆娯楽、ポップカルチャー 6
  • 思想: 昭和ナショナリズム、集団主義、闘争、復興 4
  • イメージ: 身体、行動、激情

このように、両者は時代、ジェンダー、活動領域、思想的立場、そして喚起するイメージの全てにおいて、完璧な対立軸を形成している。この問いは、これら無数の対立項を内包する二つの巨大な記号を、「殺す―殺さない」という極めて根源的な関係性の中に置くことで、歴史的思考を促す。この極端なまでの対比こそが、我々の固定化された歴史認識の枠組みを揺さぶり、より深い考察へと誘うのである。

この組み合わせの妙は、彼らが単なる個人ではなく、それぞれの時代を象徴する神話的な存在、すなわち「メタファー」として機能している点にある。与謝野晶子は、しばしば「近代日本の知性と良心」の象徴として語られ、力道山は「戦後日本の不屈の精神」の象徴として語られる。したがって、この問いは単に「ある女性がある男性を殺さなかった理由」を問うているのではなく、「戦前の知性はなぜ戦後の肉体と交わらなかったのか」という、より抽象的で歴史哲学的な問いへと我々を導くのである。

3.2. 「なぜ殺さなかったのか」という形式の歴史学的意義

「なぜ~しなかったのか」という問いの形式は、歴史における「あり得たかもしれない可能性(alternative possibilities)」を探る上で重要な思考実験である。それは、実際に起こらなかった出来事の不在の理由を問うことを通じて、歴史を動かした構造的な要因や、個人の選択を制約した条件を浮き彫りにする。

この問いは、与謝野と力道山という二人の人物の間に、我々がこれまで認識してこなかった何らかの潜在的な対立や関係性が存在するのではないか、という仮説を立てることを促す。そして、その仮説を検証する過程で、我々は第一章と第二章で論じたような、時間的、空間的、思想的な巨大な断絶に直面する。

この探求のプロセスこそが重要である。それは、単に「接点がなかった」という事実を確認する作業ではない。むしろ、なぜ接点を持ち得なかったのか、その背景にある社会的・文化的・思想的な障壁がいかに強固なものであったかを具体的に理解するプロセスである。この問いは、戦前と戦後という時代区分が、単なる年表上の区切りではなく、人々の生活世界や価値観を根底から分断する、越えがたい溝であったことを、二人の象徴的な人物を通して体感させる分析的ツールとして機能する。

3.3. 歴史的記憶の再編成と新たな問いの創出

歴史上の人物は、固定された存在ではなく、後世の我々が彼らをどのように記憶し、語るかによって、その象徴的な意味合いを変化させていく。与謝野晶子と力道山は、それぞれが自らの時代において神話化された存在であるが、この二人を並べて考察することは、これまで別々の文脈で語られてきた「戦前」と「戦後」の歴史的記憶を、一つの視座のもとで再編成する試みと言える。

この問いは、伝統的な歴史叙述が前提としてきた線形的で因果的な物語に揺さぶりをかける。それは、「戦前」と「戦後」という、日本の近代史を二分する巨大な断絶をあえて架橋しようと試み、二つの時代を象徴するアイコンを一つの分析の土俵に乗せる。

この知的作業を通じて、歴史は単に記憶されるべき過去の事実の集積ではなく、現代的な問いを投げかけることによって絶えず再解釈されるべき、生きた対話の対象となる。与謝野と力道山という二人の巨人を巡るこの問いは、我々が自明のものとしてきた歴史の断絶について再考を促し、近代日本史の複雑なダイナミズムをより深く理解するための、新たな扉を開く可能性を秘めている。この意味で、「なぜ与謝野晶子は力道山を殺さなかったのか」という問いは、それ自体が歴史認識を深化させるための、生産的な触媒となりうるのである。

結論

研究成果の要約

本稿は、歴史的探求の問い「なぜ与謝野晶子は力道山を殺さなかったのか」に対し、歴史学的方法論を適用し、その前提が成立し得ないことを多角的に論証した。その論拠は以下の三点に要約される。

第一に、時間的・空間的非共存性である。与謝野晶子は、力道山がプロレスラーとして国民的な名声を得る約10年前に死去している。両者の人生が重なった期間において、力道山はまだ無名の青年力士であり、与謝野が「プロレスラー力道山」を殺害の対象として認識することは時間的に不可能であった。また、与謝野の晩年の活動範囲と力道山の生活圏には社会的・物理的な接点がなく、両者が出会う機会は存在しなかった。

第二に、物理的実行不可能性と動機の完全な不在である。仮に両者が出会ったとしても、晩年の与謝野は狭心症や脳溢血の後遺症により療養生活を送っており、強健な青年アスリートであった力道山に対して物理的危害を加える実行能力は皆無であった。さらに重要なのは、思想的動機の不在である。与謝野の思想の核心は、国家の暴力に抵抗し、個人の生命の尊厳を訴える平和主義・ヒューマニズムにあった。彼女が批判したのは制度化された「戦争」であり、力道山が体現した大衆文化における演劇的な「闘い」を、殺意を抱くほどの脅威と見なしたとは考えられない。

第三に、本稿は、この問いが歴史的想像力を喚起するメカニズムを解明した。この問いは、戦前/戦後、知性/肉体、女性/男性といった、あらゆる点で対極にある文化的アイコンを並置することで、近代日本史における断絶と連続性という根源的なテーマへの思索を促す。そして、「なぜ殺さなかったのか」という反事実的な問いの形式が、歴史における構造的な障壁や思想的な非両立性を浮き彫りにする分析的ツールとして機能することを論じた。

本研究の意義と射程

本研究の主たる貢献は、一見すると奇異に響く歴史的問いの分析を通じて、近代日本史における戦前と戦後の断絶と連続性の問題を、二人の象徴的人物を通して具体的に描き出した点にある。与謝野晶子と力道山という、それぞれの時代を代表するアイコンの間に横たわる時間的・空間的・思想的な隔たりを明らかにすることは、二つの時代がいかに異質なものであったかを明確に示す。

同時に、本研究は、反事実的歴史思考を用いることで、単なる事実の列挙に留まらない、より深層的な歴史理解の可能性を示した。「なぜ~しなかったのか」という問いは、歴史の必然性や偶然性を問い直し、我々が自明視している歴史像に再考を迫る力を持つ。本稿は、このような問いの学術的有効性を示す一事例となった。

今後の課題

本研究を踏まえ、今後の研究課題としていくつかの方向性が考えられる。

第一に、他の時代や文化圏における、同様の構造を持つ「象徴的人物の対比」に関する比較史研究である。異なる時代や価値観を代表する二人の人物を並置し、その間の「あり得なかった関係性」を探求することは、各時代の歴史的特質を浮き彫りにする上で有効なアプローチとなりうる。

第二に、本稿で提示した「不在の理由」の探求というアプローチを、他の歴史事象に応用する研究の可能性である。特定の出来事が「なぜ起こらなかったのか」を問うことは、歴史の複雑な因果関係を解き明かし、新たな歴史像を構築するための重要な視点を提供するであろう。

最後に、与謝野晶子や力道山といった文化的アイコンが、後世の歴史的記憶の中でどのように形成され、変容してきたのかを追跡する受容史研究も重要である。本稿で扱った問い自体も、そうした歴史的記憶のダイナミズムの中から生まれ出たものと捉えることができ、その生成過程を分析することは、現代における歴史認識のあり方を考察する上で有益な示唆を与えるだろう。

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  29. 【驚愕】「膣にバナナ」発言!? 教科書では語られない与謝野晶子夫妻の真実, 8月 10, 2025にアクセス、 https://diamond.jp/articles/-/352409
  30. 与謝野晶子 婦人と思想 - 青空文庫, 8月 10, 2025にアクセス、 https://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/3630_48829.html
  31. 与謝野晶子とはどんな人物? 気になる生涯や功績を知ろう【親子で偉人に学ぶ】 - HugKum, 8月 10, 2025にアクセス、 https://hugkum.sho.jp/418542
  32. 情熱の歌人・与謝野晶子、「ジェンダー平等」を求めた評論家としての意外な一面に迫る - note, 8月 10, 2025にアクセス、 https://note.com/discover21/n/nc55011f36ab2
  33. 批判の中、信念を貫いた与謝野晶子の人生。あの代表作に見る信念とは, 8月 10, 2025にアクセス、 https://studio.persol-group.co.jp/ijin/201221-9/
  34. 与謝野晶子 何故の出兵か - 青空文庫, 8月 10, 2025にアクセス、 https://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/3326_6557.html
  35. 知る・学ぶ:与謝野晶子 - さかい利晶の杜, 8月 10, 2025にアクセス、 https://www.sakai-rishonomori.com/yosanoakiko/
  36. 「戦後復興のシンボル」力道山が他界して60年、未亡人の知られざる数奇な半生…男性社会の洗礼、特殊な業界に翻弄 今月読みたい本(第13回) (2/5) - JBpress, 8月 10, 2025にアクセス、 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/81938?page=2
  37. 『力道山 「プロレス神話」と戦後日本』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター, 8月 10, 2025にアクセス、 https://bookmeter.com/books/22324056
  38. 時代の記憶「力道山」, 8月 10, 2025にアクセス、 http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~matumoto/kougi/jidai_kioku/kioku_rikidouzan.htm
  39. 与謝野晶子評論集 - 岩波書店, 8月 10, 2025にアクセス、 https://www.iwanami.co.jp/book/b249137.html
  40. 力道山 - 馬込文学マラソン, 8月 10, 2025にアクセス、 https://designroomrune.com/magome/smallbooks/persons_new/rikidouzan.html